早いもんで、もう四十九の時期になってしまいました。
実家に戻っても、未だに「まずはばあちゃんに会いに行こう」としてしまう癖が未だに抜けません。

ばあちゃんは、仏間に、箱に入って、額の中で笑っているだけだというのに。

ばあちゃんの顔を見るだけで、どんな声で、どんな仕草で、毎日を生活していたか、今でも鮮明に脳裏に浮かびます。
それだけ、私がばあちゃんと暮らした日々は重く,長いということのようです。
 
 
で、タイトルの話なんですが

後から気づいたことなんですが、ばあちゃんは死ぬときに
奇跡とも呼べることを起こしてくれました。
 
 
私は、小学生の頃に、2歳の弟を交通事故で亡くしています。
あの時は本当に大変でした。
悲しくて悲しくて、精神も不安定になり
勉強も身につかず、やたらと喧嘩をすることが多い、
私の人生の中でも屈指の辛い時期でした。
 
 
 
で、ばあちゃんの命日から四十九日目・・・
 
 
 
 
それは、死んだ弟の、命日だったんです。 
 
 

まるで、
「オレはもうたくさん世話してもらったから、久しぶりに弟のことさ皆でお参りしてやっとくれや」 
とでも言わんばかりに。 
 
 
 
まったく、最後の最後まで、ばあちゃんらしい。
体が弱って、トイレも上手くいけなくなって
途中で間に合わなくなったりすることもままあった時
ばあちゃん、凄く情けない顔してた。

弟が交通事故に会ったときも、
「オレがもうちょっと良く見てたらなあ、ごめんなあ、ごめんなあ」
って口癖のように口走ってた。 
 
 
 
とかく、人に迷惑をかけることが大嫌いで、
自分を常に二の次に置ける人間だった。 
 
 
 
 
 
 
私に、一つの目標が出来ました。

「ばあちゃんみたいに生き、ばあちゃんみたいに死にたい」
 
 
 
死ぬことが目標というのも変な話ですが、

自分を二の次におけるほど大切な物を出来るだけ多く作る人生を送りたい。

そして、最後は悔いを残さず、「いい人生だった」と、笑って死にたい。

一人でも多くの人に、自分が居なくなることを悔やんでもらえる、
そして思い出話を語るときは1%の寂しさと99%の楽しさを与えられる、

そんな人生を目指して、明日から生きていこうと思います。
NOVAって、確かにシステムはTCに似ているし
いろいろ楽しめるフィーチャーもあるし
ゲーム自体も悪くない。

でも・・・何ていうんでしょ。
やってると、何か「冷めて」しまうときがある。
理由は・・・いろいろ考えてみたけど、やっぱりこれしかない。
 
 
 
 
 
 
 
 
国がないから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
下のほうで、「国が無いけどくだらないこと考えずに戦争没頭できる」とか書いてたけど、実際やってみたらそんなこと無かった。
NOVAは、戦争が凄く淡白というか、味気ないものに感じるときがある。
見知らぬ相手と仲間となり、または敵となり、戦う。
でも、勝っても負けても、仲間はすぐ去っていく。
チーム戦である以上、協力プレイも当然ある。
でも、国という概念が無い以上、とどのつまりは「自分が勝つために」やってることでしかない。

TCには、国があった。
ゲームスタートとともに強制的にいずれかの国に所属させられ、
同国民とは仲間として行動をともにしなければならなかった。
どんなにむかつく奴でも、自分勝手な奴でも、同国民である以上「仲間」だった。
でも、だからこそ、NOVAみたいな個人主体のシステムにはない「ツナガリ」があった。

戦って勝てば首都で喜び合い、負ければ悔しがりあった。
勝手のわからない人にはアドバイスし、気の知れた仲間とは連携を熱く語り合い、何とかして勝とうとした。

つまり・・・
「自分以外の何かのために」
国の為に
仲間の為に
勝ちたい!と思える。
TCはそんなゲームだった。
 
 
 
 
 

そう考えると、私はTCでは何て勿体無い遊び方をしていたんだろう、と後悔の念が立ってしまう。
同国民が不甲斐ないプレイをしたりして負けても、愚痴ったり罵倒したりして「ツナガリ」を蔑ろにしてた。
NOVAをやってると、如何にTCの「強制的にツナガリを持たせる仕様」が私にとって重要なものだったか、を思い知る。
 
 
 
 
 
ゲーム性が優れていればそれで満足、とは私にはいかない。
だって、他のいろんな面白いゲームを差し置いて私がやってるのは
「ネットゲーム」だから。
 
 
 
TC,やりたいなあ・・・・。
 
旧TCプレイヤーの皆さーん。
SGなんかやってる場合じゃねえっすヽ(;´Д`)ノ

SG自体が面白くなって続けてるのなら別によいのですが
SGにTCの幻影を重ね合わせているだけなら
NOVAが超お勧めです。

操作系、ユニット種別、果ては一部のマップ構成に至るまで
TCにかなーり似てて、かなりいい感じっす。
国の概念は無いけど、下らないこと考えずに戦闘にだけ没頭できるし。
まあ、全体MAPがないので、TC時代での私のアイデンティティは
NOVAでは98%くらいは示せないわけですが・・・

ともかく、興味おありの方はネットマーブルから、どうぞ。

>>12/5追記

っていうか、もろにTC意識してると思われる部分がかなり多い。
MAPだって、TCやってた人間なら
「これどっかで見たこと有るな・・・」と思えるものが多いし、
今気づいたけどマウスカーソルもTCと殆ど同じ形じゃん!
狙ってた、のか・・・?

Still love her ?

2005年11月27日
まいったなあ

2年前に別れた、4年間付き合った元カノが結婚した、って話を
友人伝で聞いた。

他の同列の友人には連絡状が届いてたらしいんだが、
周りに不必要な気を使う不器用な奴だったんで
元彼のわしには連絡状はよこさなかったんだと思う。

別にそんなことはどうでもいいんだけど

もう何の関係も持たない他人だと割り切っていたはずだったんだが、
喧嘩しながらも、4年間の間、近い位置に一緒にいた、
家族以外の初めての人間だったわけで
なんか胸に刺がつかえたような変な気分のまま今週末を過ごしました。

まあ、不器用なとこはわしも同じなわけで、
近しい友人に「みんなが」おめでとうって言ってたよ、と伝えてもらうことにした。
わしの名前を出すと、今の生活に俺の存在を思い出させた挙句
変な気を使わせちまいそうなんで・・・。
 
  
 
 
で、ふと気づくと
TMNの「Still Love Her」を口ずさんでしまってるわしが居ました。
なっさけねえな・・・・・結局、未練たらたらじゃん。 
 
 
 

まあ、なにはともあれ
おめでとう。末永くお幸せに。
それに、4年間の楽しい時間を、ありがとう。



はよ、次の連れ合い探さんとヽ(;´Д`)ノ

とりあえず

2005年11月20日
クエストで金貯めてます。
いろんな武器の使用感を実験してみるには金がいる・・・
でもDMではくそへたれなんで勝てない・・・。
ということでクエ三昧です。

さて、どうしたもんか。
BSはとりあえずできるようになってきました。

あとはSSか・・・でも難しいんだよなあ。

っていうか、何故私はKSを目指してるんだろう

KSのメリット、デメリット、効果的な戦術、
そんなもん何も理解してないのに・・・。

あれか。

見た目派手で格好いいものにとりあえず憧れるガキの発想かね。

TCで単身派手に暴れる先輩に憧れて
カッターを志した頃から、ちっとも成長しとりませんがな。

GunzOnline

2005年11月14日
なるものが、知り合いの日記を読む限りでは面白そうなので
昨日ちょこっとやってみました。

あれですねー。
TPS(ThirdPersonShooting)なんですね、FPSじゃなくて。
微妙な視点の操作で闇討ちみたいなことが出来るのが結構面白い。
マトリックスばりの派手な動きが出来るのはなかなか爽快。

でも、難しいし、皆強い・・・。
何事も型から入る性質なので、いろいろ調べてみました。
バタフライステップ?スラッシュショット?ハーフステップ?
いろいろ、動きを効率化するための技がたくさんあるようですが
何で皆さんこんなの出来てるんすかね・・・・。

ジャンプ中にダッシュして剣振ってガードでキャンセル(バタフライステップ)。
こんな一連の操作をコンマ数秒のうちに、しかも連続して状況把握しつつこなしていかねばならない・・・
めっさ敷居他界ヽ(;´Д`)ノ

わたしゃFPSは初めてじゃないけど、
こんなに激しい操作を要求されるものは今までになかったし。
私に出来るのはせいぜいQuake系のバニーホップくらいヽ(;´Д`)ノ

今は別の名前でやってますが
慣れてきたら「爆岡弾十郎」をGunzの地に産み落としてみようかな、とか思っとります。

すんませんでした

2005年11月8日
辛気臭い題名の日記がTOPにいつまでも来つづけてるってのも
あれですんで、更新しようと思います。
↓読んで鬱になった方、どうもすんませんでした。

言い訳さしてもらうなら
私なりに、「死別の苦しみ」ってものから脱却するために
思いのたけを全部吐き出したかったんですよね。
どうも長男ってのは、周りの雰囲気的に、
表面上だけでも毅然として振舞っていなきゃいけないみたいな雰囲気がありまして
んで葬式中ではかなり「押し殺していた」部分があって、
それが精神的にすんごい負担になっていたわけです。

皆さんを鬱屈のはけ口に使うような真似しちまいまして
すんませんでした。
 
でも、本当、家族ってのは大事ですから
航行するなら今のうち、ですよっ。
 
 
さて、気持ちの整理もだいぶついてきましたんで
少しずつ日常の生活に戻りつつありまして
TCに次ぐいろんなネトゲを探してる最中でございます。

ECOとA3にちょっと手を出してみましたが
どっちも、私的には好かんなあ・・・。

なんか皆さんのお勧めはございませんかね( ;谷)
通夜も終り、納棺が始まった。ばあちゃんが生前に使っていたものを引っ張り出すことにした。施設生活をはじめてから物置同然になってしまっていたばあちゃんの部屋の引出しを開け、いろんなものを引っ張り出した。家で本を読んでいるときにいつも着ていたカーディガン、相当前に着ただけだったけど、抜群に似合っていた着物。ばあちゃんが終り際に一生懸命勉強して、真っ黒になるくらい手垢がついた聖書。
ばあちゃんの傍らに載せてやった。ライトブルーの着物を着たばあちゃんは最高に綺麗だった。

そのばあちゃんの上に、俺と親父で棺おけの蓋をかぶせた。

かぶせた後、俺は洗面所に駆け込んで、泣いた。ばあちゃんが綺麗過ぎて、そのばあちゃんとの別れが余りにも辛すぎて、こらえきれなかった。周りには親戚連中もいたから、長男である俺がべそべそ泣いている姿は見せたくなかった。

納棺も終り、霊柩車でばあちゃんを火葬場へ運んでいった。電動式の運搬装置にばあちゃんの棺おけが載せられ、火葬室の入り口まで来た。
「最後の、お別れをしてください」
火葬場職員の言葉が本当に重く響いた。
棺桶の蓋を開け、ばあちゃんの顔を見た。手を入れ、ばあちゃんの髪をなで、顔をなでてやった。冷たかったけど、これが本当に最後。ばあちゃんが生きていた88年間、そしてばあちゃんとともに生きた29年間を、右手で噛締めた。一生、この感触は忘れないようにしようと誓った。

全員のお別れが終り、いよいよ棺桶が火葬室へ入っていく。最近の火葬場はハイテクになっており、扉の開閉から何から、全て全自動で動く。
ばあちゃんが入った火葬室の扉が、無機質な音とともにゆっくり閉じられていく。他の皆は手をじっと合わせていたが、俺はだんだん閉まっていく扉の向こうのばあちゃんの棺桶をじっと見つめていた。ばあちゃんとの本当の別れのとき。それを最後まで見届けたかった。

そして、扉は完全に閉じられた。
ばあちゃんが死んでから3回目、俺はまた、泣いた。

2時間後、集骨が始まった。
ばあちゃんの姿は、真っ白な骨片になり果てていた。骨太で、がりがりに痩せても骨だけは頑丈に出来ていたばあちゃんの骨っぽく、しっかりした骨ばかりだった。頭蓋骨に当たる部分に、着物の色素が移ったのだろうか、薄っすらとライトブルーの色がついていた。
骨を一つずつ箸で拾い、遺骨箱に収めていく。そして、大たい骨に当たる部分から、あの骨折の接合手術に使ったときのボルトが出てきた。
職員が我々に相談してきた。人によっては、ボルトのような異質のものを遺骨と一緒に収めるのを嫌う場合があるので、ボルトを遺骨と一緒に収めるか否かは家族で判断してくれ、とのこと。
親父は「お前が決めろ」と言ってきた。
俺は即答で「入れてやろう」と答えた。
このボルトも、ばあちゃんだ。赤茶けた鉄の塊だが、これもばあちゃんが88年間という人生を生き抜いてきた証。これが無かったら、あっちで歩けない。

告別式を済ませ、家に、四角い箱になったばあちゃんを持って帰ってきた。
遺影の前にばあちゃんを置き、線香に火をつけて、そっと手をあわせた。
ばあちゃんの遺影は、腰も曲がっていない頃に友達と一緒に取った、穏やかな笑顔のもの。
これで終わったはずなのに・・・・。
終わったはずなのに、遺影を見ていると、今では物置になったあの部屋からばあちゃんがいつもの笑顔でまた出てきそうな気になってしまう。

暫く、恐らく俺が老いて死ぬまで、この錯覚は終わることは無いだろう。
 
 
 
 
 
 
久しぶりの更新なのに、こんな辛気臭いことを書いてしまって、本当に申し訳ありません。
でも、読んで欲しかったんです。
この世で一番大切なもの。それはやはり、家族。
家族を失うということは、例えようの無いくらい辛いもの。
貴方にまだご存命の家族の方がいるなら、一度でいい。もう一度、家族へ真正面に向き合って、今、家族の皆が生きていることの幸せを改めて実感して欲しいのです。

以上、爆弾でした。
24日の朝に、仕事へ出る前に入ったトイレに入っているとき、電話が鳴った。親父の携帯からだった。留守電メッセージが作動した。
「ばあちゃん(の様態)が変った、すぐ連絡くれ!」

すぐにコールバックしたが、話中で連絡がつかない。
すぐにもう一度。今度はコール音のみ。
やきもきしながら待ち、5分後に電話して、繋がった。お袋が出た。

「ばあちゃんね、7時40分(ついさっき)にね、亡くなった。」

その連絡を聞いた俺の第一声は
「そうか・・・・」だった。
 
 
 
 
 

俺はずっと前から、ばあちゃんっ子だった。親が共稼ぎだったので、小さい頃学校から帰ってくるといつもばあちゃんがいて、いっつも世話を焼いてもらっていた。
でも、だいぶ前から体を悪くしていた。
3〜4年前から風邪をこじらせることが多く、よく病院の世話になっていた。
自分から体を動かすことが上手く出来ないようになり、頭もボケ始めていた。
俺の名前を親父の名前で呼ぶときも沢山あった。
でも、飯は沢山食ってたし、見舞いに行くと本当に嬉しそうで、ニコニコ笑ってた。

2年前、ばあちゃんは転んで大たい骨を骨折して、入院した。
骨折した個所と年齢が厳しかったので、接合手術をして、細い足に不釣合いなボルトを埋め込まなければならなかった。
だが、そのときにかけた全身麻酔が完全に抜けきれずに脳に残ってしまい(高齢者の手術時には良くあることらしい)、また体が完全に動かせなくなる時期が非常に長く続いたため、ばあちゃんの痴呆が急速に進行していった。

病院を退院しても、満足に動くことが出来ず養護施設で世話を受ける身となっていたばあちゃん。
俺は実家を遠く離れて仕事に出てる身なので、盆、正月、GWくらいしか実家に戻ることができない。
そのかわり戻ったときは必ずばあちゃんを見舞いに行くようにしていた。
来るたびにばあちゃんの様態は怪しくなっていった。呂律が上手く回らずに言葉も良く伝わらない。会いに行っても寝ていることが多くなり、しまいにはこちらの呼びかけにも応じず、目ですらこちらを追うことが出来なくなっていた。
でも、俺がばあちゃんの手を握ったとき、ばあちゃんはしっかりした力で俺の手を握り返してきて、なかなか離さなかった。

去年の暮れ、ばあちゃんを養護施設から一時的に引き取って、家で正月を迎えさせてやろうとした。
話もとんとん拍子で進み、いざ迎えに行く当日、ばあちゃんの風邪がぶり返して微熱が出た状態となり、そのまま施設で看護を続けなければいけない状態となった。
「ばあちゃん、ごめんな。熱が出てるから、うちに連れて行けなくなっちまった」
「ああ・・・そうか・・・・」
いつものとおり呂律が回らない状態でばあちゃんは寂しそうにつぶやいた。

その後、看護士の人から
「時々家族の方たちを集めて座談会を開くんです。その時、それほど重くない方は、お正月のときくらいはできるだけ家族の方たちと水入らずで過ごした方がよいので、引き取ってもらうようにお願いしてるんですけどね。殆どの人がそのままほったらかしなんです」
という話を聞いて、やり場の無い怒りを感じた。
俺は連れて帰りたくても帰れないのに・・・・!!

ばあちゃんの様態は今年に入っても回復することが無く、風邪はやがて肺炎となり、片方の肺が真っ白で全く機能しない状態となった。
夏に見舞いに行ったときは、固形物を租借することができなくなり、チューブで直接流動食を胃へ流し込んでいた。あんなに力強かった腕もめっきり細くなっていた。自力呼吸も難しくなり、口へ酸素マスクを当てて呼吸の補助を行わなくてはならない状態になっていた。
正直、元気な頃のばあちゃんの姿と対比したら目を背けたくなる姿だった。
でも、ばあちゃんは生きてる。
それだけで満足だった。

そんなこんながあり、「いつかは・・・・」という覚悟は自分の中で出来ていたはずだった。
訃報の連絡も、冷静に受け止めたつもりだった。すぐに仕事場へ休みの電話を入れ、最低限の準備をして実家へ向かった。

実家へついたとき、既にばあちゃんは家に着いていた。周りでは通夜の準備を親が慌しく進めていた。
居間の仏壇の前に、金色の刺繍が入った布団に寝かせられ、顔に布をかぶせられたばあちゃん。傍らに座り、布をめくってみた。
びっくりするくらい安らかな顔だった。鼻と頬には詰め物がされ、化粧を施され、唇には紅がさしてあった。
ばあちゃんの手を握ってみた。ぞっとするくらい、冷たかった。もう、俺を手を握り返してはくれなかった。

そのとき、今までのばあちゃんの思い出が爆発するように頭に広がってきた。
ガキの頃一緒に風呂に入って、体を丁寧に拭いてくれたばあちゃん。
近所のいじめっ子に苛められて泣いていたとき、いじめっ子を怒鳴って撃退してくれたばあちゃん。
夏休み、暇さえあれば、スイカを切ったりリンゴをむいたりしてくれたばあちゃん。
始めて稼いだ給料で買ってきたお土産をおいしそうに頬張っていたばあちゃん。
俺が実家に帰ってくると嬉しそうに迎えてくれたばあちゃん。
また仕事場に戻るとき、寂しさを不器用に隠しながら「元気でな」って言ってくれたばあちゃん。

「ばあちゃん・・・!!」

こらえきれず、俺は泣いた。
もうばあちゃんは動かない。リンゴもむいてくれないし、笑ってもくれない。
覚悟はしていたけど、そんなもの何の意味ももたなかった。
ばあちゃんはもういない。この現実がこれほど辛いとは思わなかった。

さて

2005年9月1日
4年近いTC生活の中で出会った、大切な友達、仲間たち。
ゲーム終了でこのまま終わってしまうのはあまりに忍びない・・・。

どうでしょう、
「TCの思い出を偲ぶOFF会」
みたいなの、やってみたいですねえ。
ネトゲOFFはまだUO系で1回しかやったことがないので・・・。

Good Game !

2005年8月31日
一つの時代が、世界が、終わりました。

昨日は、上中下、緑赤紫黄全ての国を回って
お礼周りをしてきました。
昨日は結局ろくに戦場には出ませんでした。
下手に戦場出てしまうと、さびしくて泣きそうになりそうでしたから。

思えば、赤国でKaiserSozeとして生を受け
野生の天使、轍を経てTCの基礎を学びながら
緑のシークレットサービスへ移籍、ここで自分がTCの中で
「カッター」として生きることを志したんだろうな、と思います。

いろいろなことがありましたね。
シークレットサービスの復興、SetaGuardianとの連携、BeCool御大とカッターマニュアル作成、偽者大量湧き事件、TCLS設立。翡翠の一片へ雇われレジ長として呼ばれていったこともありました。
どれもこれも尻切れトンボで終わってしまったことばかり、
そして私の愚直な性格からいろんな人に迷惑をかけてしまったことも星の数、と思います、

最大の心残りは、やはり一度大統領になってみたかったなあ、と。
いろいろな理想を抱いていた時期に、たとえ圧制政治になったとしても
自分の理想がどこまで通用するものなのか
試してみるべきだった、というのが悔やまれます。

まあ、いつか仮面の旦那から受けた中下OLでの連携政治確立
 (旦那がタンタル・爆弾がセタのOLとなり互いに連携を取りながら中下の溝を埋めてみよう、と言う政策)のオファーを
リアル事情で蹴ってしまった時点で、私にOLの座に付く資格はなかったのかもしれません。
これは、リアル事情が許すのであれば是が非でもやってみたかった。
まさに世界を180度覆せる一隅のチャンスだっただけに、悔やまれて仕方ありません

いろいろ、悔やまれることもありますが、どれもこれも

自分の中では、タクティカルコマンダーと言う一つのゲームに対して
まっすぐに、真剣に向き合って、夢中・必死でやっていた瞬間と思います。

ここまで、各人が自分の信念に乗っ取って真剣に、熱くのめりこんでいたゲームは
他に知りません。

お世辞抜きで、TCで出会えたほとんどの人たちと過せた事
この上なく楽しく、充実していました。感謝の気持ちでいっぱいです。

とりあえず、この日記は今後どうして行くかは不明です。
最近ちょくちょくやっている、CounterStrikeについての記事でも書いて行こうかな、と思ってます。

まあともかく、KaiserSozeそして爆岡弾十郎の「TC日記」は
これにて終了です。

最後に、TCで出会えた殆どの皆さんへ

私が伝えたい全ての感情を代弁している、
私が大好きなこの唄を送ります。
歌い手は「あやや」なわけですが・・・・
心に染みる名曲です、ぜひ聴いてみてください。


風信子(ヒヤシンス)   松浦亜弥

空を見上げる時は いつもひとりぼっち
悲しいこともあるけど すべて意味があるんだね
通いなれたこの道 幾度季節は流れ
思い返す泣き笑い 私の学生時代

桜の花びらを 踊らせるものは何?
目には見えない 風がそこに吹いてるから…

ありがとう 私はいつか私らしい風になる
ありがとう あなたがくれたすべてに ありがとう
ありがとう あなたがくれたすべてに ありがとう

いつもうつむいている そんな友達がいた
ずっとふざけてたけれど やさしい友達もいた
いつも65点の 私はどんな色だろう?
“ふつう”で生きてるけれど これが私なんだろうか?

あなたがいつか言った 愛する人の為
ささやかに生きてゆく 色のない風が好き…

ありがとう 私はいつか私らしい風になる
ありがとう あなたがくれたすべてに ありがとう
ありがとう あなたがくれたすべてに ありがとう
ありがとう あなたがくれたすべてに ありがとう
ありがとう あなたがくれたすべてに ありがとう

馬その2

2005年5月30日
さて、先日の日本ダービー。生で見てみました。

つ¥・・・・強いぞディープインパクト!
第4コーナーまでは中段に沈んだままだったから、
またシンデレラ馬誕生か?と思っていたら
とんでもない末足で一気にごぼう抜き・・・!

もう背筋がぞくぞくして毛が逆立ってくぁwせdrftgyふじこlp。

私は普段は競馬新聞も読まないし馬券も買わないし
ダビスタをちょこっとやってるだけで血統とか難しいことは何一つ知らない。
でもあのレース、ディープが怪物過ぎていい勝負にもならなかったけど
私みたいな競馬もろくに知らない、G1だけ時々中継で見るような人間が見ても
本当にぞくぞくさせられる、凄いレースでした。

私が過去に競馬で鳥肌立てたのって言えば
96年か7年あたりの、なんかのレース(天皇春だったかな?)での
ダンスインザダークVSフサイチコンコルドの最後の直線デッドヒート。
あと、3−4年前の日本ダービーだったか
エアシャカールでダービー3連覇を狙う武VSアグネスフライトの河内の
7センチ差の激闘。

それ以来ですな。

数年に一度、私みたいなライトファンも虜にさせる
すごいレースが出てきますねー。

馬 

2005年5月26日
最近のあてくし

調子は特に良くも悪くもありません。

このごろちょっとバテ気味で調子が落ちてきてますね。

体調を崩してしまいました。今週は休んだほうがいいですね。



orz



まあ、判る人にしか判らんネタさね。
2.20版をUPしてます。
といっても、通常戦マニュアルとのコラボはまだです。
ご覧になりたい方は、例の最強リンク集からどうぞ。

とりあえず、私が知ってる小手先の技の中で
文章で他人に説明可能なものは全て載せました。

追加した内容については・・・
ついて来れるもんならついて来い、って感じになってしまいました
ヽ(;´Д`)ノ

もういっちょ私信

2005年4月15日
>現代さん
快諾いただきありがとうございますー。

→中位以降では一撃ユニが増えるので攻めでも主導権握れない

カッターマニュアルが明らかに「下位通常向け」によりすぎてるなあ、と言うところのギャップは
前々から思ってたんですよね・・・。あれを書き始めたころは、通常戦と言えば下位でやるもの、って感じでしたから。
だからといってこう変えよう、ってのがいまいち方針決めづらかったところなんですよね・・・。
おいおい、追記するなどして変えていかなければいけないところだと思ってます。

→カッターとしての2手目

これこれこれこれこれ!まさにこれっすよ!
私が現マニュアルに致命的に足りないと思ってるのは・・・。

所詮、今のマニュアルでは敵進入にカットを入れるまでの
いわば1手目までの手順しか書いてないわけで、
現代さんなりその他の通常戦を知ってる方々の日記とかBBS書き込みから
それ以降の2手目についての考察(や愚痴)をいろいろ読みまして・・・。

例を挙げるならば、
・開戦直後の睨み戦線構築は一応カッターの役目だけど
 それがちゃんと地形/進入口数などで優位な主戦場を構築するような内容か?
・QPQPで勝ち進んだりストール入れに行くのはいいけど、
 突き進むことで本当に自陣に有利に働くのか?
 敵カッターのカウンターが入った場合に致命的になりはしないか?
・敵侵入にカットを入れる、それはそれでGJだが
 それで満足していないか?主戦の残り時間や周りの戦線の上下を意識しているか?
 「カット&ストールは何も考えずにとにかく時間いっぱい引き伸ばすだけが正解」だと思い込んでいないか?

ここら辺って、カッターがどうとか以前に「通常戦に参加している一員として」
すんげえ大事なことだと思ってるわけです。
性質上、どうしてもカッターが動くと戦場が荒れるわけで、そこら辺ちゃんと意識して動かないと、
主戦カット入れたはいいけどお前が通ってきた戦場とか主戦の味方進入がカウンター食らってひどい目にあってんぞボケが、とか
お前いつまでストールやってんだよそんなとこ主戦にしちまったら進入も少ないしMAPも不利だしどうにもならねえよ糞が、みたいな状況になっちゃうんで(私もようやりました・・・)
そこら辺を、何とかしたいな、と。

一応、コラボできたら共著の扱いにさせていただきますんで、一蓮托生、連帯責任ということで作成頑張りますw

現代さんへの私信

2005年4月13日
私信ですが、あえて表へ。
一つ、無茶なお願いがあります。

SSHPに載ってる通常戦マニュアルの記述を
カッターマニュアルで引用させていただきたい!
この前、過去日記のプレイバックを読み返してみて決心したんですが、あのマニュアルの記述がなければカッターマニュアルは完成しません・・・。

今までは、カッターマニュアルにはとりあえずの小手先の技についてたらたらと記述してきました。
ただ、今思い返してみると、たとえこのマニュアルの記述をすべてマスターして実践できたとしても、肝心な「主戦も含めた戦場全体の戦況に対応すること」が疎かではたとえカットを入れたとしても所詮自己満足の悦に浸っているだけになってしまいます。

それに加え、あの日記のプレイバックを読んで思い出しましたが
私は「あの」レジメントでカッターを志して今日に至ってます。
そこで学んだ師匠たちの、戦場全体に対応して「完全勝利」へと持っていこうとするあの動き、今でも忘れません。
やっぱり、「カッター」っていう職は彼らのレベルに達しないと自称しちゃいけないんだろうな、という思いがふつふつとわいてきました。

勿論、現代さんのあの通常戦マニュアルの記述さえコラボできれば
完全無欠のカッターマニュアルが完成するか、というとそうではないと思うんです。
カット・睨みの世界なんて私ごときが掘り尽くせるほど浅いもんではないですし・・・。
ただ、「カッター養成マニュアル」と銘打ってあるからには
これを読みきってくれた人たちが最低限、彼らに近いレベルの技術と戦場意識を持ってもらえる、そんなマニュアルにしていかないと・・・。

彼らと「カッター」という職に誰よりも憧れていた私自身が
「カッター」という言葉の価値を下げることになってしまう。ひいては彼ら自身の価値も・・・。

というわけで、これ以上情報が膨大になったら読んでもらうことすら難しくなりそうですけどね。自己満足の域を出ないとしても、ああいう不完全なマニュアルのままだらだらと小手先の技を追加したりしていくだけで「これくらいのこと覚えときゃカッターになれる」みたいな感じで認知されてしまうのは、私を育ててくれた人たちへの示しが付かないと言うか、カッターを自称する人間としての意地とプライドが許さないと言うか・・!
で、そこら辺のことを追記するには、いろいろ読んでみた結果あのマニュアルが最適だ、と思った次第でして。

#久しぶりに熱くなってきましたね、おいw

カウンターこそ付いていませんが、ジオのアクセス解析に拠れば
カッターマニュアルは掲載時点から13000HITを超えてます。
高慢ながら、TC内へのそれなりの影響力をすでに有してしまってると思ってますので、出来れば今の不完全なマニュアルを完成の域へ近づけるために是非力添えをお願いしたい!

久しぶりにTCに熱くなれそうなんでぜひご検討をー。
まあ、皆さんいろいろな意見が出ていますが
私の日記仲間たちは、殆どが「個人の問題を国家問題に挿げ替えてるバカ大袈裟な問題」
みたいな感想ですね。
 
 
 
 
 
ここで私が、
 
「下位側の人たちの考えもわからなくもない」

なんて言ったら、祭りですか?
 
 
 
 
 
 
 
 
いやいや、マジ。

現代さんへ

2005年4月7日
ここの体験版を、復元するHDDと別のドライブにDL・インストールして
使ってみてはどうでしょう。
http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se327310.html

いろいろ見てみましたが
むかつくことにファイル復元ソフトの体験版は
検索のみで復元が出来ないものばかりなんで、
これでとりあえず探してみて見つかるようであれば
それほど高いもんでもないんで買って復元してみては如何でしょう。
うちの会社でも使ってるんですが、検索力はかなり強力なんで
あるいは・・・・。

あと、復元しようとしているHDDにソフトをインストールしたり
でかいファイルをDLしたりとかいうやり取りは
極力辞めておいたほうがいいです。
昔データが残っていた部分に上書きされると、復旧確率が下がるの
で・・・。

お子さんとの大切な思い出の、無事を祈ってます!
ちょっと、赤の国にホームシックになった時期のお話。
課金時代のSGにお邪魔をした頃に
ちょっとこの時代を思い起こして懐かしく感じたものです。

いつか、私がカッター職の道を歩むきっかけを与えてくれた
彼らを越える「カッター」になりたいと思っていましたが
一生叶いそうにありません。

ここから------------------------

カッター養成マニュアル書いてて気がついたが
自分ってつくづく通常戦好きだなあ、って思う。
それも、自分を育ててくれた、あの赤レジと
数々の師匠たちのお陰です。

理屈っぽいけど真剣に知識を与えてくれた、あの人

愚痴は多いが決めるとこはきちんと決めてた、あの人

おちゃらけた感じでつかみ所が無いけど、敵カット阻止隊も捕まえきれなかった、あの人

そして、私の目標、孤高の最強のカッターだった、あの人。

今では散り散りになってしまったが、懐かしい思い出です。

かつてのオメガの野生の天使は、今のセタで言うSGのような、国を代表する「カッターレジ」だった。

私は、かつての「野生の天使」レジメンの中では、カッターとしての腕は「最弱」。

私ごときにてこずっているようでは当時の野性レジメンたちの誰にも勝てませんぜ!

・・・誰もてこずっていませんか、
そうですか (つД`)

ここまで-----------------------

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